雑記

今日は誕生日でした。

 

 

 

…27歳とか嘘だろ。

26まではまだまだ大学卒業したての20代な気分だったけど、27はもうほぼ30だろ。

30ってヤバい。

40くらいまでしか生きてないんじゃないかって気分だったからあと10年くらいじゃん。

 

 

まぁ、あと10年生きりゃ十分か?

個人的に気になってたDell S2417DGがセール中

PCモニタを買い換えようと思って高リフレッシュレート、高解像度のモニタをひたすら調べてた。

 

自分の結論としては、24型・WQHD(2,560×1,440)・144Hzのモニタが最適だと思った。

 

まずこの条件に当てはまるモニタがまだ少ない。

24型でWQHDってのがなかなか無い。27型ならあるんだけど、PCモニタとしては個人的にちょっと大きいと思う。

んで、その中でもG-Sync対応のモニタで良さげなのが二つあって、それがDellのS2417DGとAOC AG241QG。

G-Syncについては適切に解説できる気がしないので自分で調べてもらうとして、ざっくり言うとモニタ側でV-Sync(垂直同期)のような仕組みを行ってくれるものみたい。

んでG-SyncはV-Syncの場合に起こるスタッターが起こらないとかなんとか。

nVidiaの技術なのでGeForceの新しめのグラボでしか使えない。

AMDはFreeSync。

二つの違いはあるみたいなんだけどよく知らん。(AMDのグラボ持ってないし。)

一番の違いは値段にある。

G-Syncは大体+3万くらいする。専用のモジュールが必要らしい。

FreeSyncは特別なモジュールを必要としないVESA規格なので特に値段が変わらんとかなんとか。

 

 

前置きは以上です。

 

AOC AG241QGはAOCのAGONシリーズが日本に上陸したらしいけどこの型番については未発売。米尼の参考価格を貼っとくと、$479.99。

その内日本で売りそうだし安いのでこれ欲しいなーと思いながら待ってた。

 

www.amazon.com

 

 

ということで残るDellS2417DG。

これを欲しいものリストに入れといたんだけど今見たらセールやってる。

¥59,980→¥ 53,982

144Hzのモニタが相場3万(XL2411)で、G-Sync対応なら6万くらいかなーと考えてた。

 

BenQ ゲーミングモニター ディスプレイ ZOWIE XL2411 24インチ/フルHD/144Hz/1ms

BenQ ゲーミングモニター ディスプレイ ZOWIE XL2411 24インチ/フルHD/144Hz/1ms

 

 

しかしこのモニタはそれを更に下回りつつ、解像度もWQHDなのである。

 

 

パネルはTNだけど、ゲーミングモニターとして応答速度を考えるとTNパネルが最適だろう。

IPSとなると高い。気になる人は調べて。

 

 

27型が欲しいという人はROG SWIFTのPG279Qが一番いいんだろう。

俺にとってはでかすぎるし予算オーバーです。

 

 

正直G-Syncに+3万の価値があるかどうかは未だに悩んでいるところだが、DellS2417DGは圧倒的に安い。

買いたいけど今すぐには買えないから多分セール終わっちゃう。

まぁその時はG-Syncを諦めるかAG241QG待ちかな。

 

 

もうすぐ誕生日なので欲しいものリストからプレゼント…とは言わないけど、もしこれがきっかけで欲しくなった人がいたらアフィから買って?

別にアフィ踏まなくてもいいよ。

買える人は羨ましい。

 

以上、おすすめモニタのセール情報でした。

 

追記:

 

10パーオフセール中。

 

 

漫画 『モンテ・クリスト伯爵』 読了

待て、而して希望せよ!

      ――――モンテ・クリスト伯

 

このセリフがとても有名な古典の名作ですね。

原作のモンテ・クリスト伯は読破済みです。

長いですがとても読み応えがあってとても印象深かった本でした。

流石今に至るまで名作だと謳われているだけあります。

 

 

そして先日のKindleセールでなんと、モンテ・クリスト伯爵の漫画を見つけたじゃないですか。

しかも、漫画1冊で収めてる!?

レビューを読むとなかなか好評で、これが100円以下ってのはもう買うしかないと思って買いました。

 

第一印象としては、表紙がゴージャス。

もちろんこの二人はモンテ・クリスト伯とエデで、この表紙絵の雰囲気から既に良作の匂いが漂っています。

私が原作で一番印象的だった水タバコのシーンを表紙絵にしている辺り、なかなかやるな!、と思いました。

 

肝心の中身ですが、あの作品をこの尺で構成した手腕がやはり素晴らしいですね。

カットしたシーンがあるのは確かですが、決めるべき部分はきっちり決めてくれます。

そのシーンもこの画力で描かれるのですから、大満足です。

特にエデの書き込みは美しくて、思わずため息が漏れるくらい。

原作からのギリシャの妖艶な美女のイメージを見事に再現しています。

欲を言えば本編にも水タバコのシーンが欲しかったですね。

まぁそこら辺は1冊にまとめた本なので仕方ないです。

一言で言えば復讐劇なのですが、それだけでは言い表せないモンテ・クリスト伯の深い人間性が、この1冊の本に詰まっているのです。

 

 

今回はKindleで買いましたが、書籍でも購入して家に保管しておこうと思います。

あの名作が、ダイジェストで魅力を十二分に残したまま、いや、新たな魅力を伴って楽しめるのです。

おすすめです。

 

 

 

小説 『僕が愛したすべての君へ』『君を愛したひとりの僕へ』 読了

『僕が愛したすべての君へ』を読み終えた時点での感想

こちらを先に読みました。

 

初めと終わりと物語の仕組みはとても良かった。それ以外の部分は微妙かな。

いい話として纏めてるけど、並行世界の解釈的に気になるところとか、並行世界での恋愛に対する考え方・温度感が自分に合わないこととか、お話の比較的小規模なスケールの割りに随分と壮大で綺麗な物語として閉めているところとか。

 

並行世界を分冊で描くアイディアはとてもよいので、後半(君を愛したすべての僕へ)が好みな話になるかどうかだな。これを読み終えた時点では逆の方が良かったかも?と少し思った。

 

『君を愛したひとりの僕へ』 を読み終えて改めて書いた感想

「僕が愛したすべての君へ」を先に読了した。

 

正直なところあちらを読んだ時点では文章が好みではないし話もありきたりでSFというよりもロマンス寄り。設定だけは面白みがあって、でも細かい詰めが甘く感じる。

といった感想だったけど、こちらを読み終えた頃に化けた。

 

やはり細かい部分で気になるところはあるのだけど、それ以上に、並行世界を分冊で描いて、このメビウスの輪みたいな物語を作り上げたことに喝采を送りたい。

互いの物語が裏と表であって、かつ繋がっている。

 

タイムリープを題材にした物語は多々あるのだけど、結局のところリニアな物語で終えている作品がほとんど。ループしてはいるが終わりはあって、つまり物語の進行がバネのようになっている。

対してこの作品は終わりが二つあり、そのどちらもが一つの終わりを迎えているのだが、並行世界が互いに絡み合っていて明確にどちらが先でどちらで後とは言えない。取りようによってはハッピーエンドにも、バッドエンドにもなり得る。

この並行世界を分冊にして絡み合う二つの結末を組み上げた構成が素晴らしい。それを活かすにはこの刊行スタイルしか無かったと思う。

 

半分だけ読んだ時点の評価は正しくなかった。

最終的な評価としては、とても良い作品でした。

 

最後に

どちらから先に読むかは自由です。

ハッピーエンドが好きか、バッドエンドが好きかで決めてしまうのが一番いいと思います。

私はバッドエンドや切ない物語が好きなので『君を愛したひとりの僕へ』を後にしました。

読後感はとても好みなので良かったと思います。

でも、普通は『僕が愛したすべての君へ』が後でいいんじゃないかな?

 

 

 

 

映画と倫理

ホットファズ、ただ面白いだけの映画でした。
褒めてはいないし好みでもなかったです。

ド派手なムービーを見てアドレナリンを出すのが好きな人はこの文章は読まないでください。
人間、いくら言葉を尽くしても分かり合えないことだってあります。
くだらない意見は読むだけ時間の無駄です。
分かろうとしてくれる人だけがこの先に進んでください。
あと、これはホットファズに対しての感想ではないです。
偶然タイミングが合ってしまっただけで、元は「映画にそこまで正しい倫理を求めるならば、見ない方がいいと思う。」という意見に対して思ったことを書き記すつもりだったのです。


これはよく出来た映画だとは思うんですけどこういった作品が好きになれないのです。
私以外のみんなが好きになってくれるでしょうし、私がこれを好きになる必要は無いでしょう。
そういった作品は安心して嫌いになることが出来ます。

人々が笑い転げるために、人々を興奮させるために、主人公の格好良さを引き立てるために、血湧き肉躍るようなド派手な映像を作りたいがために非倫理的な振る舞いをするのです。
それが腹立たしくてならんのです。

フィクションを本気に取るなという意見がありますが、創作物に対しての責任を負わないおよそ誠実じゃない人たちが好きになれないのです。

現実と混同してるという批判もありますが、フィクションならばなんでも許されるということ責任を取らないことを混同しないでください。

非倫理的な作品は非倫理的な作品としての振る舞いが必要だと思うのです。
大衆受けするような作品にしたりいかにも倫理的な作品ですというふうな表情を浮かべることが許せないのです。

私はファニーゲームとかSAWが好きなんですよ。
フィクションを現実と混同しているから批判しているというのは少なくとも私には当てはまらないと思います。

それに、受け取り方がまるっきり違うのです。
私は非倫理的な行為自体を批判しているのではなく、何故非倫理的な行為をするのか、というその目的を考えて、その非倫理的な行為を観客の情動のコントロールに利用しているという、その事実を批判しているのです。
何故そのような行いをするのかというと、人々が興奮するから行なっているのです。
これは行為に対する誠実さが足りていないという事実に他ならない。
人々を動物的に興奮させながらまたある部分では倫理的に振舞っていかにも教訓めいたお話を作り上げていたりするのです。
動物のための映画は動物のためだけに作られるべきです。
それはつまり、非倫理的な作品で人間的な真っ当さを訴えかけることの滑稽さを表しているのです。

私は映像表現というものが好きになれません。
文章の方が好きです。
同じスプラッターな場面を描写したとして、文章では興奮するでしょうか?
映像で興奮させるのは簡単です。

それに比べて、文章は読み手の想像力に委ねられるので情動をコントロールすることは非常に困難です。
想像したくない場面は想像せずに通り過ぎることだって出来てしまうのです。
しかし、映像表現だとどうなるでしょうか。
そこに映像を作って、流せば終わりです。
そして、いくらでもスプラッターな映像に仕上げることは可能です。
より刺激的に、より感動的な絵作りをしていけば良いのです。

こんなことを語っていますが好きな映像作品だって当然あります。
これは一つの考え方を書き記してみただけです。
私は一貫性があろうと努めていますが一貫性が無い部分も含まれているかもしれません。


一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである
ーーーーオスカー・ワイルド


ええ、今ググって見つけた言葉です。

デレステのスクショをいっぱい撮りました(画像大量注意)

映画 『潜水服は蝶の夢を見る』 視聴

タイミング的にそういった映画を見たい気分になったので、観ました。

 

簡単なあらすじは、イケイケなファッション雑誌の編集長が突然倒れて全身麻痺に陥った。

そこで唯一自らの意志で動かせる左目の瞬きのみを使ってコミュニケーションを試みる、といったお話。

 

閉じ込め症候群と呼ばれているものらしいのですが、以前仰天ニュースで目にしたこの症状が衝撃的で、そのときにこれを題材にした作品は無いかと調べた内の一つがこれで、今こうして観たというわけです。

 

 

正直なところ見る前はもっと絶望的な暗い映画だと思っていました。

だけど、全くそんなことは無かったです。

もちろん症状が症状なだけに実際の状況というのは相当に絶望的なものだし、そういった作品として描くことも出来たはずです。

もっとおどろおどろしい描写も可能だったはずですが、この作品はそうではありませんでした。

 

そこら辺はフランス映画っぽさが出てるんでしょうかね?

映像表現に拘っていて、視聴者にこういった感情を抱かせたいといったようなあざとい演出が見られなかったことが、重たい題材であるこの作品にとって良かったのかもしれません。

苛立ちだったり、楽しいことだったり、怖い描写も、どれもさらっと流れていってしまいます。

重たい症状を重たく描写する作品といえば「震える舌」がありますが、あれは怖かったですね。狂犬病に関するお話です。

 

あと全編ではないですが、ほとんどの映像がFPSですね。

これは演出としてとても効果的でした。

過去の映像と、現在との区別がわかりやすかったです。

それに、閉じ込め症候群を映像にするならばこれしか無いですよね。不自由さが手に取るように伝わってきました。

 

そんな感じで、この片目だけのコミュニケーションを用いて1冊の本を上梓するといった作品なのですが、途方もない苦労ですよね。

原作は脚色入ってるんですかね?

そのままを小説にしたとしたら、記憶のみでお話を構築しているということで、なかなか纏まった作品にはならないんじゃないかと思いますが、逆にそれなら読んでみたくなるかもしれません。

少なくとも映画に関しては半分フィクションみたいなものなんじゃないかなと思ってます。

あ、ちなみにこの話自体はノンフィクションですよ。

 

ふと目にした宣伝文句が、お決まりの調子で「泣ける!」といったものだったんですが、この作品はどうなんですかね。

本当に泣かせるために作ったと思いますか?

サラサラと流れるように詩的な描写で描いたこの作品を俗っぽい定型句に押し込めてしまうようなその態度が邦画の質にも表れてしまっているんだと思いますよ。

いや、作り手批判というよりはスポンサーが作り手に対して求めているものに対しての話です。

 

余計なことを書いてしまいましたね。

潜水服は蝶の夢を見る』、いい作品でしたよ。