映画と倫理

ホットファズ、ただ面白いだけの映画でした。
褒めてはいないし好みでもなかったです。

ド派手なムービーを見てアドレナリンを出すのが好きな人はこの文章は読まないでください。
人間、いくら言葉を尽くしても分かり合えないことだってあります。
くだらない意見は読むだけ時間の無駄です。
分かろうとしてくれる人だけがこの先に進んでください。
あと、これはホットファズに対しての感想ではないです。
偶然タイミングが合ってしまっただけで、元は「映画にそこまで正しい倫理を求めるならば、見ない方がいいと思う。」という意見に対して思ったことを書き記すつもりだったのです。


これはよく出来た映画だとは思うんですけどこういった作品が好きになれないのです。
私以外のみんなが好きになってくれるでしょうし、私がこれを好きになる必要は無いでしょう。
そういった作品は安心して嫌いになることが出来ます。

人々が笑い転げるために、人々を興奮させるために、主人公の格好良さを引き立てるために、血湧き肉躍るようなド派手な映像を作りたいがために非倫理的な振る舞いをするのです。
それが腹立たしくてならんのです。

フィクションを本気に取るなという意見がありますが、創作物に対しての責任を負わないおよそ誠実じゃない人たちが好きになれないのです。

現実と混同してるという批判もありますが、フィクションならばなんでも許されるということ責任を取らないことを混同しないでください。

非倫理的な作品は非倫理的な作品としての振る舞いが必要だと思うのです。
大衆受けするような作品にしたりいかにも倫理的な作品ですというふうな表情を浮かべることが許せないのです。

私はファニーゲームとかSAWが好きなんですよ。
フィクションを現実と混同しているから批判しているというのは少なくとも私には当てはまらないと思います。

それに、受け取り方がまるっきり違うのです。
私は非倫理的な行為自体を批判しているのではなく、何故非倫理的な行為をするのか、というその目的を考えて、その非倫理的な行為を観客の情動のコントロールに利用しているという、その事実を批判しているのです。
何故そのような行いをするのかというと、人々が興奮するから行なっているのです。
これは行為に対する誠実さが足りていないという事実に他ならない。
人々を動物的に興奮させながらまたある部分では倫理的に振舞っていかにも教訓めいたお話を作り上げていたりするのです。
動物のための映画は動物のためだけに作られるべきです。
それはつまり、非倫理的な作品で人間的な真っ当さを訴えかけることの滑稽さを表しているのです。

私は映像表現というものが好きになれません。
文章の方が好きです。
同じスプラッターな場面を描写したとして、文章では興奮するでしょうか?
映像で興奮させるのは簡単です。

それに比べて、文章は読み手の想像力に委ねられるので情動をコントロールすることは非常に困難です。
想像したくない場面は想像せずに通り過ぎることだって出来てしまうのです。
しかし、映像表現だとどうなるでしょうか。
そこに映像を作って、流せば終わりです。
そして、いくらでもスプラッターな映像に仕上げることは可能です。
より刺激的に、より感動的な絵作りをしていけば良いのです。

こんなことを語っていますが好きな映像作品だって当然あります。
これは一つの考え方を書き記してみただけです。
私は一貫性があろうと努めていますが一貫性が無い部分も含まれているかもしれません。


一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである
ーーーーオスカー・ワイルド


ええ、今ググって見つけた言葉です。